すのふら

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日々の備忘録

物語を俯瞰する人間を見る / 『劇場版SHIROBAKO』を見た

アニメ映画を見に劇場へよく足を運ぶんだけど、感想は大体ツイッターに書いて終わらせてしまうことが多い。

そもそも感想を書くのがそんなに得意ではないし、監督がどうとか演出がどうとかの知識もなく的を射ていない可能性も高い、というのが理由だ。

ただSHIROBAKOについては、今まで関連記事も書いてきたということもあったし、見たときに俺の中で整理できていないところもあって整理のためにも感想を書く。

snofra.hatenablog.com

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全力でネタバレをするので、気になる人は見ないほうが良いです。


















劇場版『SHIROBAKO』のあらすじ

テレビ版の後数本アニメ作品を制作した後、制作していたアニメが制作中止になった。理由は契約上の問題になる。

丸川社長が制作中止を話したときには、かなり余裕をもって進行しており、制作陣は寝耳に水だった。
それぞれこの中止を重く引きずりながら武蔵野アニメーションに留まるもの、去っていくものがいた。

武蔵野アニメーション自体も倒産までにはならなかったが、テレビ版のような明るい感じは姿を消し、斜陽のアニメーション制作会社に戻っていた。

そんな中、『空中強襲揚陸艦SIVA』という劇場向けアニメが、制作会社側の怠慢によって頓挫の危機にあった。
その制作をタイトル以外はまるまる白紙の状態の作品を武蔵野アニメーションは引き受けることにした。

制作期間がかなり短いので、作品を制作するためにかつてのメンバーを招集、アニメを制作していく。

作品が完成に近づいていくときに、『空中強襲揚陸艦SIVA』を頓挫させたアニメ制作会社から権利についてのいちゃもんがあった。
このタイトルを勝手に使うとはなにごとか、アニメを制作しないとは言っていないというものだ。

ただ頓挫させたアニメ会社はその権利を主張するための義務を果たしていなかった。権利問題をなんとか回避してかつてのアニメ制作中止を阻止することができた。

アニメが完成(完パケ)したが監督があまり腹落ちしていなかった。
スタッフ全員で話し合った結果、ぎりぎりまで粘ってアニメをよりいいものへブラッシュアップすることにし、封切当日を向けた。

次回のアニメ制作は第三飛行少女隊の続編というホワイトボードで物語は終わる。


アニメを作る人たちの話ではなく、アニメを作る話であった

俺の中であれ?ってまず思ったのは、この物語が「アニメの作る人たち」の話ではなく、「アニメを作る話」であったなっていうこと。

テレビ版の『SHIROBAKO』も確かにアニメを作る話ではあったんだが、物語の中心はあくまで作っている人であったのかなと思う。

それはたどり着きたい場所について考える姿だったり、
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©「SHIROBAKO」製作委員会

喧嘩するシーンだったり
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©「SHIROBAKO」製作委員会

キャラクターの成長だったりする。
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©「SHIROBAKO」製作委員会

ただ、劇場版はそうではなかった。


劇場版はあらすじにも書いた通り、劇場版を短期間でどう作り切るのかという話だ。

テレビ版の感覚なら、原画を撒くことができないなど制作という仕事の問題や、制作中に発生するメンバー内の軋轢や成長を描くものである。

だが、それを描くシーンがかなり少なかった。
どちらかというと外から俯瞰しているシーンがかなり多かったと思う。


劇場版を見終わったときに、何というか俺はこれを見たかったのか?
見たかったのはもっと作業者たちの泥臭さとかそういうことなんじゃないのか?
とそんな気持ちになった。

なぜこういうことになってしまったんだろうと思ったときに、宮森あおいが偉くなりすぎた問題があるのでは?と思った


宮森あおいはもうひとつの作品に深く肩入れできない

宮森あおいは劇場版ではプロデューサーだ。
プロデューサーはテレビアニメ版では、渡辺隼のポジションになる。


アニメ版の渡辺隼が映っていたシーンは、

アニメの放送ができないという状況で、武蔵野アニメーションのパワーでは制作できない、ないてくれという序盤最大の山場の重要な局面のシーンや、
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©「SHIROBAKO」製作委員会

アフレコのシーン
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©「SHIROBAKO」製作委員会

次の作品を持ってくるための接待、もしくは打ち合わせとして麻雀をやっているシーン
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©「SHIROBAKO」製作委員会

このあたりかなと思う。

彼は基本的に今、そして次のアニメ制作自体を決める権限、アニメ業界の政治の世界の中にいると言える。

仕事をもってこればいいという話が、アニメ版で新川奈緒の台詞としてあるが、ここからも彼はアニメの制作自体に肩入れせず、重要な局面のみ登場し決定を行う人間として描かれる。

現実のプロデューサー職がこれと同じなのかは俺には判断できないが、少なからず決定をしなければならいというロールであることは間違いないだろう。


劇場版は、宮森あおいはそのロールにいる。
ということはかつて第三飛行少女隊制作の際、彼女がそうだったデスクのポジションがいたはずだ。
おそらくその人から話を聞いているのだろう。

終盤、宮森あおいがやらなきゃいけないことについて、ミムジーとロロと話をする。
いくつかやらなきゃいけないもののの中で、最後にロロは「アニメを完成させる」という台詞を言う。

これは宮森あおいの今のロールでジャッジする権限を持っており、ジャッジしなければいけない人間であることを表しているのだと思う。


だから彼女は判断する。
アニメを(自分たちの最高だと言える形で)完成させるという判断をするのだ。


高いロールが主人公のつまらなさ

上でいった通り、この物語の主人公は宮森あおいであり、宮森あおいはアニメ制作という場においてかなり上の立場にいる。

この高いロールであることの問題は、話が政治になりがちであることだと思う。
今回も最終的に権利の話になる。

劇場版ではこの権利の話を第三飛行少女隊政策の際と同様にある程度デフォルメして描いている。
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©「SHIROBAKO」製作委員会

何故ここまでデフォルメするのかというのはやっぱり正面切ってやる話としてはどうしても面白くないのではと推測する。

でもアニメ版の『SHIROBAKO』で俺が政治戦について何も感想を抱かなかったのは、テレビアニメ版は敵(トラブルメーカー)が社内と社外にいたからだ。

ただ今回描かれる敵(トラブルメーカー)は社外のみになる。
そして社外はアニメ制作自体には関与してこない。

この状況で揉めなければならないという状況は、権利にならざるを得ない。

ただ権利の話は、高い役職の人たちの中で完結されてしまう。
丸川社長時代に制作中止の話をされたときに、スタッフは寝耳に水で質問をしたが、相談ではなく決定を伝えたシーンとなっている。


宮森あおいがもし『空中強襲揚陸艦SIVA』を制作中止にしなければならないという判断を下すにあたって、自分の立場上「上山高校アニメーション同好会」のメンバーに相談することはできない。

権利の話をひっくり返す情報を持っている人間がいないからだ。
(そもそもみんな武蔵野アニメーション所属ではないというのも理由になるとは思うが)

この物語が俯瞰する物語だなと思ったのは、彼女がそういうロールなので、こういう感じの映画になってしまうのは当然だと思う。


渡辺隼との話が足りなかったと思う

そのうえでこの物語は渡辺隼というキャラクターが正しく扱えなかったのかなと思う。
何というか、この物語において渡辺隼は何も言わないのだ。

作品を俯瞰する宮森あおいを俯瞰する立場にいるように見えた。
(もしかして、彼が会社の社長というロールが原因なのかもしれない)

終盤のシーンでアニメを(自分たちの最高だと言える形で)完成させるという判断をするが、彼はおそらくそういう判断をしないはずだ。
納品3週間前でどのくらいのリテイクになるのかもわからないという状況は「完成できないかもしれない」リスクがある。

えくそだすっ!』での武蔵野アニメーションでは難しいという判断は絵コンテを読んでの判断だった。

今回は、それよりももっと分が悪い状況になる。
監督が修正するリードタイムがどの程度なのかもわからない。これが3週間かかるとアニメを完成することができない。

劇中この判断に何も言わなかったのは、きっと何かこれについて何か話があったのだろうと思う。
おそらく上である程度話してリスクヘッジしたうえで、最終的にスタッフに相談するという判断に至ったのだと推測するが、この物語で描くべきはここのシーンだったのではないか?と俺は思う。

何かを決定することの少なさを俺は感じた。

上層部で決定する話があまりないので、新規キャラクターだったウエスタンエンタテイメント側のアシスタントプロデューサーである宮井楓がいまいちパッとしなくなったのではないかと思う。


藤堂美沙の物語でもよかったのではないか

もうひとつ見ていて気になったのは、藤堂美沙の扱いだ。

彼女は会社でCG班のリーダーだったが、メンバーは向上心の薄いキャラクターや、なかなか進捗をあげられないキャラクターの面倒を見ていた。

そして中盤、進捗を挙げられなかったキャラクターが得意分野で才能が開花されて焦る、タスクを抱え込みすぎてしまうという状況に陥る。

この状況の最終的な解決が、いい感じに役割分担をしたらいいよねというものだった。

そういうものなのか?ワンエピソードであっさり腹落ちできるものなのか?

彼女の中での焦りや悩みによって自身が、ボトルネックになってしまうという状況は、『SHIROBAKO』くささとして映画でもっと深掘りしていったほうが良かったのではないか?と俺はそう思った。


序盤かなり辛かった

ここからは俺のさらに純粋な感想になる。

序盤武蔵野アニメーションが斜陽であることを表すために、第一話と対比していた。
ラジオのアニメ番組はアニメが減っているや予算がないと言い、武蔵野アニメーションの建物や社用車は老朽化している。

えくそだすっ!』第一話の放映シーンではたくさんいたスタッフが全くいない。
なんというか、この序盤だけで悲しくなって心が辛かった。
だって、俺はあの時のアニメ版が終わった状態の延長として見に来ているんだから。

だからこの作品はダメっていうわけではなくて、出ていくという判断を冷静にされているという状況という妙なリアルさがあるなーっていう感じだった。


遠藤さんよかった

制作中止で心が折れてしまった遠藤をみんなで救い上げるシーンは『SHIROBAKO』っぽさがあってよかった。

瀬川さんと結構深く付き合いあったんだなーというところや、下柳さんとすごく仲良くなっていて、苗字呼び捨てだったりこれはお前にしかできないと設定資料渡したりといいシーンだなーっていう感じだった。

遠藤さんの奥さんとのシーンは、妻帯者としてはファンタジー度合いがとんでもなく高いなwと思いつつも、こういう最後の背中を押すのは、やっぱり家族なんだよなーって思った。


その他思ったこと

山田さんはなぜあんな変なポジションだったんだ?

杉江さんのヒゲは俺はちょっとなと思ったのと、ワイフって言っていて「え、ワイフ?」って4年間でちょっとどうしたっていう気持ちになった。


最後に

俺のこの感想も本質を得ていない感想の可能性が非常に高いので、上映しているうちにもう一回見ておきたい。