居場所の物語としてのSHIROBAKO
SHIROBAKO Advent Calendar15日目を担当させてもらいます。かわせです。よろしくお願いします。
いつもは読み手でしたが、いつも力くれるSHIROBAKOへの恩返しということで今回手を上げました。
キャリアがないって俺に対して言っているのか
SHIROBAKOで好きな回はという質問をされたとき、第10話「あとあと一杯だけね」と第20話「がんばりマスタング!」を答えると思います。2話ともストーリー的には、クール終盤の盛り上がる前の回みたいな感じだなと思います。
特に第20話「がんばりマスタング!」は自分が落ち込んだ時、ふてくされた時に意識的に見るようにしています。
この回を象徴するのは
平岡と円の喧嘩シーンだと思います。
職務放棄してんじゃねえよ。本当お前何もないよな、何のために制作やってんだよ
いっつもいっつもつまんなそうな顔で仕事して雑な仕事で手抜いてあれやったこれやったって自慢するけどよ
お前の仕事ぶりでキャリアになると思ってんのかよならねえよ、笑わせんじゃねえ
自分で書いてもかなり胸に来るセリフだと思います。実際にこのセリフを相手に言われたら心折れかねん。
心がダークサイドに落ちたときにこのセリフを聞くと、円さんが俺に向けて言っているような気がして「俺だって好きでこうなったわけじゃない。なんで俺はキャリアも何もないんだ」って落ちてそこから「そうなりたくない」って奮い立つような気がします。
俺は平岡の気持ちが分かる
今回Advent Calendearのネタを考えようとしたときにそもそも俺はなぜこのセリフをよく聞くのかっていうのを考えていると、たぶん俺は平岡、お前の気持ちすげー分かるよってことなんじゃないかって。平岡大輔ってキャラクターは、夢見ていたころの情熱が現実と向き合っていくうちに摩耗してその炎が消えかかっているそんなキャラクターです。
5年間で4回職場を転々としている彼は社会人的な側面では責任感が薄いように思えます。
でも彼はなぜかアニメ業界を転々として、別の職種に就こうとはしない。
なぜなんだろうと思ったときに俺はきっと彼は自身は救われるべきだと思っていて、救ってくれるのはアニメであるべきだって思っているのかなと思います。
彼にとって居場所はほかの業種ではなく、アニメ業界ではならない。だからその居場所を探している人なんだと思っています。
本当に自分がいるべき場所、自分がアニメに救ってもらえる場所を探している。
ただ、これはもう自身の問題ですが、彼はアニメに救われるべきだと思っているし、なぜ自分は救われないのだと思っているように思えます。
救われないなら50点程度を出せばとりあえずいいんだろとダークサイドに落ちてしまって、隣の芝の青さを見て自分の庭に唾を吐くような状況になってしまった。
でも根はそれではだめだと思っているから、瀬川さんからのクレームを話したときに
そんな顔をしたのかなと思っています。
そういう意味では居場所を作ったタローはホントGJだと思います。
ここにいてよーしって言われたい
それを自身に置き換えても、やっぱり自分がいていい場所、救ってくる場所というのは本当に重要なことなんじゃないかなと思います。そこにお姉さんが初めてあるぴんにお墨付きを上げたわけですよ
わたしここにいていいのかな?いてよーしみたいな
ここのセリフ、たぶん一番つらかった時期の平岡もきっと言われたかったんじゃないかなって。
平岡だけじゃなく、みんな多分「ここにいてよーし」を求めて仕事をしていると思ってます。少なくとも俺はそう。
今もキャリア的に俺はここにいていいのか?って、今年も昇給しなかったなあとか、もう俺にはこの会社限界なんじゃないかって胸をよぎったときに、ここにいていいのかなそう思うことがあります。
というか思っています。
そして多分、きっと俺は今の職種で、今の職種によって救われたいこの世界にいてよかったって思いたい。
そういう時に「ここにいてよーし」って言われたいし、俺も誰かに「ここにいていいんだよ」っていうべきなんだと思います。
さいごに
SHIROBAKOは居場所の物語だなって思うことが多いです。ここが自分の居場所なのか。
どこにたどり着きたいのか。
そういう物語だなって感じるということは、きっと今の俺は少なからず居場所について何かを感じているんだと思います。
そろそろ、少し高い所から遠くを見る時が来たんだよ
そういう時が来たのかもしれないですね。