すのふら

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日々の備忘録

何で認識が合わないんだ

俺の業界では何かを作ったりするうえでイメージに相違がないようにすることを、よく「認識を合わせる」なんていうんだけど、この認識を合わせるというのがどれだけ大変か。
今やっている仕事でもあんなにミーティングしたのに、全く認識が合わない。

ということで今まで認識合わせで思ったことをメモしておく。


■そもそもそう簡単に認識は合わない

世の中皆俺なら、俺の思っている全部分かるはずなんだ! と思っても俺のマインドを持つ存在は俺だけだし、つーか俺が沢山いたらグータラしだして仕事が破綻しちゃう。

沢山の人がいてその沢山の人のマインドも別々なので、そう簡単に合うわけがない。
その異なる思考やスキルをもった人たちの足並みをそろえることができるって言うのはすげースキルなんじゃないかーと思ったりしている。

俺も欲しいが道のりは遠く、マネージャからいつも認識あってる? 大丈夫? みたいなことを聞かれては、「多分……」みたいな気の抜ける回答だったりする。


■認識合わせのときの粒度はあっているのか?

俺の認識があってないときによく陥っているのが、見ている粒度が違うということだったりする。

俺は性格的に細かいところばかり目がいってしまって粒度がものすごい細かいのに対し、相手はそもそもなんでこれやるんだっけ? みたいなそもそも論から入って粒度が荒い。
相手はそもそもみたいなこの話自体の大きな話なのに、こちらは「そんな話はどうでもいい、やるんならやるんでしょ? 実装したいんだから細かい話しようよ。」でやってくるんだから認識なんて合うわけがないわけ。

この間も妙にかみ合ってなくてしっくりこないままミーティングが終わって、マネージャに「ちょっとシーケンス図書いてみてよ」と言われて、書いてみたら俺の見ていたところが細かすぎて全体捉えられていない。
シーケンス図書いて、漸くやべえ全然全体概要不透明だし、役割分担も決まってねえと分かる。俺無能すぎー。


■そもそもどういう話をするのかってことが分かってないんじゃないか?

粒度が違ってしまうのって、そもそも参加するミーティングはどういう話するのかってことをそもそも理解していないからなんだと。

ミーティングするなら何かしらのテーマがあるので、そこから結論はきっとこういう系なんだろうなー。と想像つけていくと何となく話が読めたりする。
作業概要とか経緯聞いたり作業方針決めるのに、ミリミリした話もっていくのはそもそも持っていく武器が違うわけで。

そういうところを意識して行かないと空中戦して終わりみたいな不毛極まりないミーティングになる。


■もしかして、相手何かを隠し持ってる?

これすげー厄介。
認識齟齬っている理由が相手がこちらに情報を伝えてないとか、「知っているだろう」みたいな謎の以心伝心意識で手戻ったりする。

防ぐ手段って今の俺にはよく分からないんだけど、認識合わせしましょうなミーティングはどんな馬鹿な質問でも許してもらえる場所だと(勝手に)思っているので、とにかくグレーな、多分こうだろって言うところも言うだけ言ってみることが重要なんじゃないかと。

割と多分こうだと思っていました。だけど実際は全然違っていましたなことが多い気がする。


■まとめ

認識合わせするときは、頭に全体図、システム作るなら簡単なシーケンス図思い浮かべながら話すると抜け漏れなく話できるのかもしれない。

質問できるチャンスあるなら、不明点なくなるまでミーティング時間の限界まで聞き倒したほうがいいと思う。
ミーティング参加者を1時間拘束しているから早く帰してあげようじゃなくて、話させてもらうチャンスをフルに使ってやるみたいな気概が重要なのかも。