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すのふら

日々の備忘録

断捨離すると何故揉めるんだ

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何故…分かり合おうとしないんだ!?


ネット見てたら断捨離と銘打って捨てまくってる人がいて、そんな人はだいたい高い代償を支払っているよう。
なんで揉めるようなことを敢えてやるのか考えてみる。


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「断捨離のために旦那のコレクションを勝手に捨てると、ヤバいことになる」というお話に震撼するTL - Togetterまとめ

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■そもそも断捨離ってなんだ

Wikipediaの断捨離(断捨離 - Wikipedia)の記載は

不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術

断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる

となっている。

物へ執着するのを止めることで幸せになろうという考え方のよう。昨今のミニマリストと同じ思考なのかなと。

本質って抱えている在庫に対し「本当に必要なんだっけ?」と考えてみる視点を持とうということなんだと思う。


■「不要なモノなどの数を減らす」という点だけにフォーカスしている

ネットでこういう話を見る限りでは、

  1. 物を捨てる行為が幸せ
  2. 私がいらないものは捨てるべき

そんな考え方に起因する無慈悲な処分で大いに揉めているように見受けられる。

カーチャンかよ!

在庫に対して私が不要と認識しているものは即ちこの家庭において不要であるという思考停止による惨劇のように思える。

何故こんなことが起きるかって、コミュニケーション不足によるものなんだろうな。


■分かりあう気がないのか

一緒に生活していて相容れないことは多分にある。

俺のカードやプリキュアのフィギュア収集だって嫁からしたら相容れない趣味だと思うし、興味ない。
興味のないものの価値なんてたとえ1000万とかの価値があったって、0円と変わらない。
それに対する思い出についても興味がなければ価値は見いだせない。そりゃそうだ。

俺だって親の思い出の品なんて心底どうでもいいし、実家にあるもので高値がついているものがあっても見出すことはできない*1と思う。

だからってその相容れないことを思考停止で切り捨てるのは正しくなくて、もしかして相手はこれを必要としているのかもと考えてみるというのも必要なのではと。


それは不要だと宣告されている方も同じなんじゃないか?

いらないから捨てるという言葉に対し、俺は必要だから必要なんだって単なる思考停止なわけで。
ダンマリ決め込んでいたり改善が見られない場合に処分されるのは、有り得ないことではないはず。

以下は伝えておくべきなんじゃないかなあ。

  1. 自分にとってこれは必要である/価値があるは伝えるべき
  2. 妥協点を見つけるべき


■自分にとって必要である/価値があるは伝えるべき

捨てられちゃうのはなんだかよく分からない物だと思われているからなので、まずは自分にとって必要であってどの程度価値(値段・思い出)があるのかを説明すべきなんだと思う。

知ってもらうことで相手の不要か否かの判断をする上のフィルターになってくれるはず。


■妥協点を見つけるべき

何故不要なのかを確認して課題を明確化した上で、場所を移動するなり互いに一番いい方法っていうのを考えてみる必要があるんじゃないのか?


■まとめ

自分が不要なものは、相手が必要なのかもしれない。
自分が必要としているものは、相手が必要なのかもしれない。

そう考えて話し合ったり行動すると、お互い幸せになれるのかもしれない。

*1:実家は割と物を溜め込まないのでないと思うが

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